新譜を手に入れたら、雑音のない自宅でじっくり堪能したいと思う人も多いかもしれない。
最初は帰ってから聞こうと思っていた。でも無理だ。待てそうもないのであっさり諦めて移動中に聴くことにする。列車は音楽と相性がいい。どれだけ人がいても邪魔されず、家の中より自由だ。
ドアが閉まる直前に乗り込んできた青年は音に良く合う。
丸眼鏡、飴色のバッグと靴、モスグリーンのポンチョ。古着なのか一点物に見える。他の人が身につけても同じようは居られない、彼だけのもの。
静かに目を惹くそのかっこよさと印象の深さが、この曲のために存在しているみたいだ。
聞き慣れない音は耳に引っかかる。
何だろうと思った次の瞬間、頭の中の自分は水の上を走りはじめた。
窓の外はのどかで想像とは食い違っているのに、現実の景色も巻き込んで物語を映す一部になる。
こうなるともう虜だ。
最初にあった音の違和感は、懐に入ってしまえば不思議とよく馴染む。
同じものを手にして違う感覚を持つ、他の人はどう感じるんだろう。違いは批判するより堪能した方が面白い。
あっという間に目的地に着いてしまった。
座席に忘れ物をしていないか確かめたかったけれど、人の波にもっていかれて問答無用で押し出される。
到着したカフェで、ニュースの通知に目を落とすと不吉な知らせばかりだ。
同じくらい自分に出来ることを必死に模索している人もいて、不安材料が山積みでも捨てたもんじゃないと思えた。
災害や戦争の影が見えると、文化芸術は必要か否かみたいな話になる。
安全を確保すること、食べることが最優先なので「そういうもの」は不要だ。それどころじゃないということらしい。
そうだろうか。
食料や安全を確保するのは大事なことだ。優先順位も上だろう。でもそれと文化芸術の必要性は別の話なんじゃないか。
本当にそれどころじゃない時は、愛情以外「そういうもの」しか手に残らないのに。
繰り返すリズムが呼吸と重なると、今生きているなとぼんやり思う。
最初からずっと音の奥がぼんやり明るい。
自分を盗られない限り、体の中で、外灯みたいに雨ふる地面に滲んでも、消えることなくずっと点いている。
コーヒーがいつまで経っても出来上がらない。
どうなっているのか尋ねる声に些細な不満を乗っけた自分は窮屈だ。
コーヒーを運んできてくれた店員は新人なのか不慣れな様子。屈託ない笑顔には同じく笑って返さずにいられなかった。動きがぎこちないのはもう愛嬌だ。
ボリュームを戻してはじまった曲の続きは、驚くほど角が取れている。
ガラス越しに通りがかった子供が手を振ってきた。赤の他人が皆一斉に手を振り返す時の謎の一体感。
隣の二人組はやっと旅行に行けるらしい。想像しては大騒ぎだ。まだ行ってもいないのに中身は完全に飛び立っている。
好きなところに行って楽しんできたらいい。
別に自分が行くわけじゃないのにこっちまで浮き足立ってきて、よくわからないけれど幸せだ。
絶妙なタイミングで拓ける音は際限なく穏やかに広がって、イメージがリンクするともう自分と音しか感じなくなる。
辺りが忙しなくても遠のくことなく、眠たくなるほど穏やかでも横並びに響いて奥底まで呼びにくる。
呼び寄せられた感情が、想いを汲みきれないやるせなさでも、気取って見せなかった嬉しさでも、離れることなく溶けてついてくる。
曲がくれる世界の中でどう生きようと、否定されることなく自由だ。
大勢の中で一人の時間を作っている名前も知らない常連客が、今日は珍しく人を連れて現れて前のめりに甘く喋りはじめた。
もう椅子から3センチぐらい浮いてそうだ。いつもの神経質な感じは微塵もない。
片面だけから受ける印象なんて当てにならないものらしい。このギターの感触も生で触ったら別物なんだろう。
知らぬ間に結構時間が経ってしまった。
広げた道具をバッグに詰めて外に出たら、晴々と歩き出す。
さっきまであった閉塞感や正体のわからない焦りは、いつの間にか曲につられて収まっていた。点滅する信号はテンポが全然あっていない。それでも時間は頑なに曲に添ってゆっくり流れ続けている。
何度も繰り返し再生して気がついた。毎回印象が違う。多分自分の中の僅かな差が違って聞かせているんだろう。
変わりばえのしない日常の中で聴く昨日と変わらない曲が、同じ様には二度と鳴らない。
誰にも気がつかれないくらい静かに確かな変身を繰り返し、ここまできたことを音で知るのははじめてだ。
変わらなければいけないわけじゃない。ただ、体感できたことは今の自分には財産だった。
自分だけの世界をくれる音楽は貴重だ。
心ゆくまで休めるし、どこまでも飛べる。
大丈夫。心配ない。
そのままで飾ることなく帰る場所はここにちゃんとある。
世の中や自分がどうあっても、そのままを受け入れてくれる音と生きるのはこんなにも心強い。
對馬 白