2026年が始まり、早くももう1月末。
先週までは比較的冬にしては暖かく感じられていたが、今週から大寒波の影響で
東京も冷え込みニュースによると日本海側や東北地方では大雪で大変なようだ。
さて、俺はというと来週から始まる最新作レコーディングに向けて準備をしている。
昨年のちょうど1年前に「確かに今、そこにある愛と呼べるもの」をレコーディングしたスタジオを今回も使わせてもらうのだが、場所が群馬の高崎ということで雪が積もらなければ良いがと心配している。
そういえば、昨年も同じように雪の心配をしてスタジオに問い合わせたことを今、思い出した。笑
とにかく、辿り着ければそれで良し。
前作は、まったくアイデアもないままスタジオ入りして即興的なレーコーディングで録った素材を構築して作った。
今回は、昨年を通して構築した楽曲をレコーディングすると決めている。
そのことでリビルドースカに困惑が生まれ、前回参加したサクソフォン奏者の池村マリノが辞退することとなった。
即興演奏が彼女の持ち味ならばそれもしようがないことだと納得。
その他にもきっとそれぞれが心境の変化や不安もあったのだろうと思う。
当初、照井利幸&リビルドースカで制作を考えていたが、それを踏まえて照井利幸ソロというスタンスに変更した。
チェロ奏者の薄井信介、ボーカルの加藤リーヌにはゲストとして参加してもらうことにした。
どうしても同じことを繰り返すことには気持ちが上がらない。
俺にとって即興演奏は毎秒ごとに限りなく生まれる衝動の表現であり、それはそれでライブなどでは興奮できるのだが、それをレコーディングするというのは記録的な意味合いの印象が強い。
前回は、その自由奔放な方法が功をなし作品にできたが、それをまた今作でもという気分にはなれない。
一つのアイデアや響きからインスパイアされ始まる作曲という作業が大好きだ。
即興のようなその場限りではない可能性がある。
その音の響きやメロディーにはそれに費やした途方もない時間や思い、作曲者の世界観などの情報量が詰まっている。
それを他者と演奏するということは、その感情とも言える響きを感じながらそれぞれの感性を持って答えるということだと思う。
それはスリルに満ちて新たな世界を生み出す可能性を持っている。
俺にとって他者と音楽を共有するということにはそういう期待がある。
間に合わせの当たり障りのない音など必要ではない。
人が人として素直に奏でる音が欲しいのだ。
それは自分自身にも求めている。
毎作、フレッシュな自分、挑戦している自分、実験している自分をそこに見たい。
生涯、理想はビートルズのようになのだ。
ただ、誰もがそんなふうに新しいことに意欲的ではないということを身をもって感じた。
それと新しいとは、あくまでも結果であり、目指すものではないということも。
話は変わるが、今回の楽曲の中に仮タイトル「Exodus」という曲がある。
タイトルはいつも思いつきであり、曲を区別するために必要だからという理由も大きい。
そのタイトルで思い浮かぶのは村上龍 著「希望の国のエクソダス」。
かなり昔に読んだのでほとんどストーリーを覚えていないが、確か中学生が反乱を起こすという話だったと記憶していた。
曲のアレンジをあれこれ考えていたら、もう一度読み返さずにはいられなくなり本棚にあった紙が変色してしまった文庫本を読み始めた。
記憶にあったのは序盤の部分で、その先どうなるのかは幸いにも覚えていなかったので初めて読むかのように楽しめた。
面白く、興奮し、考えさせられた。
あっという間に読み切ってしまった。
24年前に発行されたそのフィクション小説はあまりにもリアルで今でもその突拍子もない物語は24年前そのままのエネルギーを持って俺に迫ってきた。
今のこの国にもそれが起きる可能性を感じさせるほどに考えさせられた。
自分は今年で62歳となるが、この先どんな思いを胸に生きていけばいいのか?
今の子供達に何か小さな一つでも有益なものを残せるのだろうか?
ほんの身近な誰かでも自分の存在が音楽が救いになり得るだろうか?
自意識過剰なのかもなぁと思いつつもそんなことを考えた。
それと同時にこんな時の流れを超越したような音楽を作りたいとも思う。
俺の2026年はこんなふうに幕を開けた。
照井利幸