VOICE

「Garden」という新たな扉

2026年9月1日

「Garden」という新作が完成した。
完成したというのはちょっと語弊があるかもしれない、”完成とした”というのが正しいのかもしれない。
毎度、後戻りできないところまでくると心残りが沸々と湧き上がり、次に生かす課題となってきた。
今回もまたその繰り返しだ。

 

つい昨日まで今作の制作についてあれこれと書こうと思っていたのだが、そんなうんちくや言い訳を書いたところでこの作品がよくなる訳でもないし、制作の大変さなんか語ったところで何にもなりゃしない。
ありのままの音楽を送り出そうと思う。
ただ一つ伝えられることは、今作では今まで避けてきた「歌う」ことに挑戦しているということ。
一人で音楽を作り演奏するうえで一番自然でシンプルな表現は歌うことだと思う。
それを身につければ、自分の世界の核となるだろう。
それはずっと思ってきたことだ。
”いつか自分で歌う時が来るのかなぁ〜”とは考えていたが、それが今回だとは思いもしなかった。
制作の様々な経緯の中でそういった覚悟を持たずにはいられないことを悟った。
結果、歌うことで抽象的だった世界は言葉というリアリティを持って一段とわかりやすくなった。
それが自分にとって良いことなのか、そうでないかはまだわからない。
ただそれをやらないよりはやったほうが良いに決まっている。
なんだってやるのは自由なんだから。
ただ、それをする勇気が必要なだけ。

 

「Garden」というタイトルはそのままの意味で「庭」。
今まで自分を育ててきた庭という思いを込めてそう名付けた。
その新作を世に発表するにあたって、どんな形が良いのだろうか?とずっと考えていた。
今という時代、これからの時代、自分が何をどう感じ、どうしたいのか?を考えると形にこだわる必要はないと思えた。
どんな形だろうと音楽そのものを損なわず伝えられるのなら、それを最優先にその都度ベストを選べばいいと思い至った。
もはや、俺にとって音楽はビジネスではないし、現実を知れば知るほど自分の音楽がそうなり得ないことは承知している。
音楽は俺のライフワークであり、作ることはごく当たり前のこととなっている。
人が受け入れようが入れまいが、作らずにはいられない命なのだ。
絵を描くにも音楽があるからこそ描きたいと思える。
全てが音楽中心に回っている残り少ない人生なのだ。
だからこれっぽっちも自分の意にしないことはやりたくない。
これっぽっちも時間を無駄にしたくない。
どんな時代であろと自分で選択し覚悟を決めて生きることがすべての人に与えられた自由なのだから。
そんな考えのもと今回選んだのは、配信サービスでのリリース。
今や自分もCDやレコードを聴くよりも頻繁にそのサービスを利用し、世界の様々な音楽に触れることを楽しんでいる。
ならば、同じ土壌に自分の音楽も置くべきじゃないかと思った。
まずは、人に触れやすい場所に置いて楽しんでもらいたいと思った。
そしてそれに伴い今まで作り続けてきたCDを今回限りで最後にすることにした。
最後ということでジャケットに趣向を凝らし、できる限り最後にふさわしい商品となるよう作った。
限定300枚と少数ではあるが、それを最後にCD化を終えます。

 

時代は益々、様々な格差を生み人が生きづらい世の中へと進んでいるような気がする。
今、思うのは個人規模での変化、この流れをそれぞれ人間が考え直すべき時のように感じるのである。
他力本願ではなく、自分が生きるために。
その思いを込めて「Garden」を放つ。

 

照井利幸

 

 

 

懐かしき魂の場所The Blankey Jet City

2026年8月8日

約2年ほど前から始まったBlankey Jet Cityのサブスクリプション解禁から始まり、アルバム再リリースなどSNSを騒がせ、熱いフアンたちの間で再結成の噂やその期待が高まった。
そんなざわめきがいつしか自分を苦しめていた。
胸の中を掻き乱し、今の自分がやっていることすべてが否定されてるように思えた。
解散から26年という長い時が過ぎ、自分にはいったい何ができたのだろう?
やりたい事をやりたいようにやってきたはずなのに底の空いた花瓶のようにたった一度も満たされることもなく、そこに飾れる花もない。
そんな自問ばかりがどんよりと心に沈澱する。

 

自意識過剰?
そもそも俺は何者でもない。
ただあの場所に居られた幸運が昔の俺にあっただけだろう。
「透明になりたい」フッとそう思った。
確かそんなフレーズがベンジーの詩にあったなぁ。

 

SNSで呟いた「俺には何も知らされていない」
それは自分の意思とはかけ離れた世界で昔の自分が他の誰かの意思によって生かされているような違和感、不安感、恐怖から出たのかもしれない。
そんな他愛のない言葉でも影響力を持ってしまう息苦しさ。
みんな昔を愛してるんだ。
今は何もかもが虚しいばかり。

 

このSNSでの呟きから起きた小さな波紋を受け、早々に当時のバンドのマネージャーから連絡があった。
電話での会話であったが、様々な行き違い、思い違いがあったことを確認しあった。
それらの誤解は解けるが、それで自分の中に沈殿する何かが消えてなくなるわけでもない。
ただ昔の自分に関しては、唯一の管理者でありバンドの守り人である彼にすべてを託そうと決めた。

 

そんな彼から先日、バンド最後のライブ、2000年フジロックフェスティバルの映像素材を託される。
「映像を観たうえで意見が欲しい」と。
今まで26年間拒み続けた過去の面影。
過去に上映公開されたバンドの記録作品「バニシングポイント」も未だ観ていない。
なぜ、過去を拒むのか?
それはきっと今の自分を虚しく感じているからだろう。
心が壊れてしまうかのような恐怖感。
その映像の入ったメモリースティックを手渡された時に彼が言った「観るのに勇気がいったが、観て無茶苦茶興奮しました」。
そうか、彼にとっても怖いのだということを初めて知った。
勇気を出してでも伝えたいと思えるこのバンドの痕跡とは何か?
もちろんビジネス的な目的もあるだろうが、それ以上に彼が背負った使命感によって行われている何かに興味を惹かれた。
とうとう自分の過去にしっかりと目を見開き耳を澄まし、心を開いて向き合う時が来たのかもしれない。
これは勇気を出して観るしかないなぁ。

 

画面にはステージに上がる前の自分たちの姿が映っている。
今の自分とはまるで別人のような若かりし日の俺。
そこには、俺たち以外にもマネージャーである若かりし彼の姿も映っていた。
「仲間」。
久しぶりに心から漏れた言葉。
ビリーザキッドの墓跡にも一言「仲間」と刻まれていたらしい。
ステージに上がる俺たちを待ち受ける途方もない数の人の渦。
歓声が轟き興奮で全身にエネルギーがみなぎるのがわかる。
そして始まった。
その演奏は、ジェットコースターのようにスリル満点で、限りなく美しく、強く、野生的で愛らしく、さりげなく、ギラギラしてギザギザして、情緒的でドラマティックでユニークで、優雅、そして何よりも俺たちらしく、異彩を放っていた。
素直に思ったのは「これは俺たち以外には誰にもできないよなぁ」と。
誰にもそれを超えられない、真似することさえも憚られるような、まるで宇宙から与えられた神のバランスによって細い糸の上を3人が綱渡りしているような演奏。
それぞれの言葉でリズムでメロディーでセンスで自由自適に会話している。
「決まり事なんてない、自分たちのスタイルでやればいい!」と言われているような気になってくる。
熱狂のライブを終えてステージを去る自分たちの姿を見て、その時に何を思い、どんな気持ちだったのか、をまじまじと思い出した。
結局あの日、ライブ会場を後にして走る車の中で途方に暮れた俺は26年間を生きて今もその時のまんまだったんだ。
心にぽっかりと空いた大きな穴は何をしても埋められなかった。
その後、ベンジーとやっても達也とやっても満たされなかった。
そこには興奮できずに冷めた心で俺を見ているもう1人の自分がいた。
自分が自分にかけた呪いに苦しめられていたようなもんだ。

 

 

あの頃の魂の底から燃えたぎるような炎は跡形もなく消えてしまったが、そこにまた新たに火を灯そうと今を生きる俺がいる。
弱さや淋しさを誰にも悟られぬよう強がり、人を避け、ひたすらに自分だけを見つめて何かを掴もうと生きてきたが、昔の自分を見てもうそんな必要はないなぁと素直に思えた。

 

 

映像を通して昔の自分に向き合ってスッーと憑き物が取れたようにスッキリした。
そして同時に、昔の仲間たちがどんな思いを持って今を生きているのかをほんの少しではあるが感じ取ることができたように思う。
人生とは過去を引きずって生きるのではなく過去を重ねた上に生きることだと思えた。

 

26年前の俺たちはハンパなくかっこよかった!
色褪せることなく自分の中にあるギラギラと輝いた日々。
これを見せられたらイカれちゃうよね!
今、思うのは自分の中にあるものであっても自分だけではそれを輝かせることができないものがある。
お互いの発する何かに反応し合ってそれは特別な光を放つ。
それがThe Blankey Jet City.

 

 

最後に、この機会をくれたマネージャー“Jr“こと藤井努に感謝する。
そして昔の俺にもありがとう!
初めて自分を誇りに思えたよ。
26年前の俺たちは燃え尽きてしまったが、その痕跡には俺たちの魂のすべてが込められている。
それは永遠に生き続ける魂の痕跡。

 

照井利幸

「希望の国のエクソダス」

2026年1月23日

2026年が始まり、早くももう1月末。
先週までは比較的冬にしては暖かく感じられていたが、今週から大寒波の影響で
東京も冷え込みニュースによると日本海側や東北地方では大雪で大変なようだ。
さて、俺はというと来週から始まる最新作レコーディングに向けて準備をしている。

 

 

昨年のちょうど1年前に「確かに今、そこにある愛と呼べるもの」をレコーディングしたスタジオを今回も使わせてもらうのだが、場所が群馬の高崎ということで雪が積もらなければ良いがと心配している。
そういえば、昨年も同じように雪の心配をしてスタジオに問い合わせたことを今、思い出した。笑
とにかく、辿り着ければそれで良し。

 

前作は、まったくアイデアもないままスタジオ入りして即興的なレーコーディングで録った素材を構築して作った。
今回は、昨年を通して構築した楽曲をレコーディングすると決めている。
そのことでリビルドースカに困惑が生まれ、前回参加したサクソフォン奏者の池村マリノが辞退することとなった。
即興演奏が彼女の持ち味ならばそれもしようがないことだと納得。
その他にもきっとそれぞれが心境の変化や不安もあったのだろうと思う。
当初、照井利幸&リビルドースカで制作を考えていたが、それを踏まえて照井利幸ソロというスタンスに変更した。
チェロ奏者の薄井信介、ボーカルの加藤リーヌにはゲストとして参加してもらうことにした。
どうしても同じことを繰り返すことには気持ちが上がらない。
俺にとって即興演奏は毎秒ごとに限りなく生まれる衝動の表現であり、それはそれでライブなどでは興奮できるのだが、それをレコーディングするというのは記録的な意味合いの印象が強い。
前回は、その自由奔放な方法が功をなし作品にできたが、それをまた今作でもという気分にはなれない。
一つのアイデアや響きからインスパイアされ始まる作曲という作業が大好きだ。
即興のようなその場限りではない可能性がある。
その音の響きやメロディーにはそれに費やした途方もない時間や思い、作曲者の世界観などの情報量が詰まっている。
それを他者と演奏するということは、その感情とも言える響きを感じながらそれぞれの感性を持って答えるということだと思う。
それはスリルに満ちて新たな世界を生み出す可能性を持っている。
俺にとって他者と音楽を共有するということにはそういう期待がある。
間に合わせの当たり障りのない音など必要ではない。
人が人として素直に奏でる音が欲しいのだ。
それは自分自身にも求めている。
毎作、フレッシュな自分、挑戦している自分、実験している自分をそこに見たい。
生涯、理想はビートルズのようになのだ。
ただ、誰もがそんなふうに新しいことに意欲的ではないということを身をもって感じた。
それと新しいとは、あくまでも結果であり、目指すものではないということも。

 

 

 

話は変わるが、今回の楽曲の中に仮タイトル「Exodus」という曲がある。
タイトルはいつも思いつきであり、曲を区別するために必要だからという理由も大きい。
そのタイトルで思い浮かぶのは村上龍 著「希望の国のエクソダス」。
かなり昔に読んだのでほとんどストーリーを覚えていないが、確か中学生が反乱を起こすという話だったと記憶していた。
曲のアレンジをあれこれ考えていたら、もう一度読み返さずにはいられなくなり本棚にあった紙が変色してしまった文庫本を読み始めた。
記憶にあったのは序盤の部分で、その先どうなるのかは幸いにも覚えていなかったので初めて読むかのように楽しめた。
面白く、興奮し、考えさせられた。
あっという間に読み切ってしまった。
24年前に発行されたそのフィクション小説はあまりにもリアルで今でもその突拍子もない物語は24年前そのままのエネルギーを持って俺に迫ってきた。
今のこの国にもそれが起きる可能性を感じさせるほどに考えさせられた。
自分は今年で62歳となるが、この先どんな思いを胸に生きていけばいいのか?
今の子供達に何か小さな一つでも有益なものを残せるのだろうか?
ほんの身近な誰かでも自分の存在が音楽が救いになり得るだろうか?
自意識過剰なのかもなぁと思いつつもそんなことを考えた。
それと同時にこんな時の流れを超越したような音楽を作りたいとも思う。

 

俺の2026年はこんなふうに幕を開けた。

 

 

照井利幸

「確かに今、そこにある愛と呼べるもの」

2025年5月26日

2024年は、叩いても叩いても開かない扉の前で地団駄踏んでるような年だった。
ずっと一人っきりで創作に明け暮れてきた中で、また疼き出したバンドへの欲求に
新たな変化を期待して始めたThe DOJINだったが、やればやるほどにチグハグしていった。
虚しさと、悔しさが心の底に沈殿しているようだった。
人と何かをする楽しさを知っているからこそ、そこに何かが生まれる瞬間をまた味わいたいと願う。
ただ、目的や思い描いているものがすれ違えば、それは得られない。
今の自分にとってバンドというものが高いハードルであるかのような現実がそこにはあった。
ただただ、純粋に人と音楽を通して響き合い自分たちの音を生み出したかっただけなのだが、何だかんだとどうでもいいことに行く手を阻まれ意欲は消え失せ泥のような嫌な疲れが心と身体に絡みつく。

 

ただ一つ、今も変わらず自分の中に残ったのはThe DOJINというイカしたネーミングと描いた骸骨のトレードマーク。
次はここから始めようと思う。
湧きあがる衝動の赴くままに純粋に響く音楽をみんなに向けて放ちたい。
それだけが望みなのだ。

 

そんな失意の中2024年は終わり2025年を迎えたが、まだThe DOJINにはあと数本のライブスケジュールが残されていた。
もちろん、ベストを尽くすのみ。
2月26日、 俺のホームグランド「晴れたら空に豆まいて」にてThe DOJINの1stシーズンはあっけなく終わった。

前置きが長過ぎたようだが、ここからが未来へ向かう話。
去年、せっかちな俺は無謀にもThe DOJINのアルバムレコーディングのために2月初旬にスタジオを5日間おさえていた。
バンドの状況的に見ても、レコーディングしたって何も生みだせないだろうと思いメンバーには中止することを伝えスタジオのスケジュールはそのままにしていた。
そのレコーデイングスタジオは群馬の高崎にあり、選りすぐりの機材を揃えていて環境は申し分ない。
まぁ自分次第だが、そこでならきっと思い通りの響きが録れるだろうとずっと考えていた。
碌にアイデアも曲もなかったが、スタジオに入れば何かしらきっと生まれるだろうという予感めいた根拠のない自信だけはあった。
ストレスの先にはそこから解き放たれたいという欲求がある。
それが創作へと向かわせるのだろう。
レコーディングエンジニアには今、最も信頼を置いているMokyことTanizawa Motokiに依頼した。
そして今回はゲストを二人招いていた。
昨年、Mokyから紹介を受けたSaxophoneプレイヤーのIkemura Marinoと以前からの知人であったソングライターの加藤リーヌをレコーディング4日目にセッションする予定でソロレコーディングは始まった。
まずは、Mokyと二人で思いつく限りの楽器や機材をフロアーに運び入れ、いつでもインスピレーションが湧いた時に演奏できるようにセッティングした。
何もなかった広いフロアーはあっという間に機材で満たされ俺はすぐにでも音を響かせたいと気持ちが急ぐ。

まずはベースを手に取りグッとくる響きを探し、それが定まったところで思うままに弾き始める。
スタートの合図もないまま始まった演奏をタイミングを見計らいMokyが録音を始める。
もちろん場合によりけりだが、優れたエンジニアには説明などされなくともアーティストがしたいことを感じ取れる感が備わっている。
Mokyはそういうセンスを当然のように持っている。
音に対しての捉え方がとてもシンプルでナチュラル。
だから嘘もまやかしもない。
俺が彼を信頼している所以は音楽制作をする上で、おざなりにされがちな一番大切な意識をブレずに持っていることなんだ。
だから心置き無く音楽にのめり込める。
俺の場合、弾き始めの1音はそれで全てが決まると言ってもいいくらいにとてもデリケートな瞬間なのだ。
そのタイミングは静寂の中から自ら掴み取っているので、すでに音が鳴る前から音楽は始まっているということになる。

いつからか、ごく自然に当たり前のようにそれが俺たち二人のレコーディングスタイルになった。
それを黙々と3日間続け、9曲分の素材ができた。

 

4日目、マリノちゃんと加藤リーヌが到着。
実は、マリノちゃんは宮古島出身でDOJINがライブをした時にわざわざ帰省がてら観に来てくれていた。
その時はまだソロレコーディングすることは考えていなかったので、機会があればセッションしたいという話で終わったのだが、その後レコーディングを決めた時には、真っ先に彼女のイメージが湧いた。
普通なら彼女がどんな演奏をするのか?気になりリサーチするのだろうが、それをまったくせず何も知らぬままにセッションすることを望んだ。
Mokyが俺に合わない人を紹介するはずがないと勝手に思い込んでいた。
加藤リーヌには1曲だけ事前に音源を送り、歌のアレンジを託していた。
そもそも加藤リーヌと知り合ってから長いのだが、彼女が歌を唄うと知ったのはつい去年のこと。
DOJINのライブをスタッフとして手伝いに来てくれた時に彼女からソロアルバムCDをもらって初めて知った。
聴いてびっくり。
彼女の歌声に惹きつけられた。
すぐに、自分の曲で歌ってみないかと誘ってみたら、是非やってみたいと言ってくれIphoneで録音した音源を送りアレンジを頼んだ。
そんな二人とのレコーディングはまさに奇跡だった。
まずは、加藤リーヌが唄う曲の構成を音を出しながら30分ほど簡単に打ち合わせ、すぐに1stテイクをレコーディングした。
何一つ迷いなくお互いを感じ合い心が溶け合うようなセッション。
コントロールルームで再生してみるとその響きに心が震えた。
その後2ndテイクを録ってみたが、!stテイクほどの魔法は起きなかった。
二人とは初めてのセッションなのだが、ほとんど前置きもないままにここまで共鳴し合える人には未だかつて出会ったことがない。
その時感じたのは、神に祝福されたような愛とすべてが許されたかのような解放感だった。
予定では、加藤リーヌはこの1曲だけで終わりだったのだが、この機会を無駄にする訳にはいかないと思い、即興でもう1曲セッションしようと提案した。
いきなり即興でベースをループさせセッションが始まった。
その時、俺たちは無敵だった。
きっと、やればやるだけ曲が生まれただろう。
でも、欲張っちゃいけない。
そのセッションで役目を果たし、加藤リーヌはスタジオをあとにした。
その後、前半の3日間で録った素材の中から数曲選びサックスのダビングをした。
とても不思議に思ったのは、宮古島の風土からこんなにも洗練された旋律が生まれるのか?ということ。
そして、彼女の素晴らしさは人の響きから魂の声を感じとり、その声に答えるようにサックスを吹けるということ。
彼女とセッションしていると、音楽という見えない世界の中でこそ感じられる特別な感覚になる。
最終日はさらに即興で曲を作り、マリノちゃんとダビング作業をしてレコーディングを終えた。
このレコーディングで俺が得たものは大きい。
それは二人の才能あふれる女性たちから授けられた。
そして信頼し合えるMokyの存在がこのレコーディングを楽しませてくれた。
俺たちが過ごした5日間の魂の記録はアトリエのある香川へ持ち帰り、そこでじっくりと仕上げる。
その響きの生々しさ、美しさ、激しさを損なわぬよう大切に扱いたい。

 

香川でのMIX作業はスタジオでDAWソフトにレコーディングされた音を一旦アナログミキサーに立ち上げMIXを行い、それをまたDAWソフトにレコーディングするという何とも今時、面倒だと思われるような方法で行っている。
その理由は、「その音が好きだから」である。
アナログを経由するだけで音の質が変わる。
せっかく立派なスタジオで高価なマイクで録った音を少しも損いたくはない。
俺が使っているアナログミキサーは90年代に生産されたものでネットオークションで低価格で手に入れたポンコツだが、幸いにも近所にアナログ機材専門でリペアをしてくれる貴重な人がいてくれるおかげで騙し騙しだが何とか使えている。
一度、オーバーホールを見積もってもらったのだが、買った値段の10倍以上はかかってしまうと言われた。
しかも、録音されたチャンネルに対してチャンネル数がまったく足りないたった10チャンネルのミキサーだが、パソコン画面で見るよりも音がよく見え臨場感がある。
ただUndo(やり直しが)ができないので一度バラしてしまったら、また1からやり直さなければいけない。
使い始めた時はそれが大変で嘆いていたが、慣れてくるとそれが利点に思えてきた。
いつもフレッシュな気分で始められる。
ビートルズの頃はたった4チャンネルしかないのにあんな素晴らしい音楽を生み出している。
そこには、限られたシステムの中で工夫するという行為によってもたらされる効果は絶対にあると思う。
そんな機材を使い毎日黙々とMIXした。
Mokyにアドバイスをもらいながら、何度も何度もやり直した曲もある。
そしてついに、完成!
マスタリングはこの作品をレコーディングしたMokyが適任だと思いお願いした。
タイトルはこのレコーディングで体験したあの瞬間を思い、
「確かに今、そこにある愛と呼べるもの」とした。
そこから連想したイメージでジャケット用に絵を描いた。

 

今まで一人で作り上げてきた作品とは、明らかに違う。
それは自分以外の人たちが、俺の世界を受け入れ応えてくれたことに他ならない。
そこにはきっと愛がある。
The DOJINでは成し遂げられなかった音楽はここにあった。
今思えば、2024年の困難がなければこのアルバムは生まれなかっただろう。
生まれる理由があったからこそ生まれた、そんな作品です。

 

追伸
昔はアルバム発売すると取材を受け、決まりきったことばかり聞かれウンザリしていたが、今はこうやって伝えたいことを自分で発信できる。
それは、大変喜ばしいことだ。

 

照井利幸

 

 

群れから孤の時代へ

2024年10月5日

4月にバンドを作るために香川から東京へ戻って約半年が過ぎ、そして再び香川へ戻ってきた。
この二拠点生活は今の俺にとって、なくてはならない場所である。
それを改めて実感できたのは今回、東京から戻ってからだ。
東京へ戻った当初は、これからの活動がバンド中心になるのなら香川のアトリエを引き払い、東京の自宅の自室に機材を移し創作活動をすることになると思っていた。
実際に機材が運ばれても良いように自室を整頓し場所を確保した。
だが、香川に戻ってからしばらくするとこの環境の素晴らしさを改めて実感することとなった、とても自然に。
まず一つに、何にも邪魔されず創作ができることは大いなる理由である。
人に会えばそれだけでモードが変わってしまうほど細やかな神経なので、こんな場所があることは大変喜ばしい。
街の喧騒から離れた静かな田舎の戸建ては、一人では十分過ぎるほどのスペースがあり、まったく不便さもない。
外から聞こえてくるのは鳥の声や虫の音や風の音が殆どで、人工音といえば遠くを走る車の音以外は、たまに農機具の音がのどかに聞こえるくらいなものだ
夜になれば犬の遠吠えが聞こえてくるくらいで、あとは自然音のみ。
実際、東京と比べると大変よく眠れる。
音がどれだけ人体や心に影響するのか?を改めて思い知った。
そんな些細な身体や精神の変化に気づけるのも二拠点生活があるからだ。

 

 

さて、バンドの方はと言えば、山あり谷あり。
目眩く状況が変わり、理想とは程遠い現実の連続といったところだろうか。笑
要するにバンドのキーとなる俺とイマイくん以外は想定外だった。
東京では終始、メンバー探しに明け暮れていたように思う。
バンドのリズムを担うドラマー探しは、実に難しく、底抜けに曖昧な行為だった。
曖昧さとは一番かけ離れたパートのはずなのに、どこまでも優柔不断で薄っぺらかった。
それは感じ方の違い?
世代の違い?
と問いかけるも、それに応える声はない。
無謀にも楽観視して計画したスケジュールを何とかこなすためにだけの努力は虚しい。
そんな思いをいきなり背負わされた方もたまったもんじゃないだろう。
せめて、そこに学びがあると信じたいが、そんなのは嵐が過ぎ去ってから思うことであって、今はこのメンバーでできることで最高を目指すだけ。
そして、後悔しない程に頑張って一つの季節を終えた。
東京の約半年間で思ったのは、群れの時代はもう既に終わっていて孤の時代がもう始まっているということ。
そして、最強のバンドとは孤の集合体であり、孤の表現者であること。
あとは、それぞれの感性によって最高のバランスを生み出すことができるメンバーであること。
東京在住中にたまたまTV番組で今を輝くアーティスト”米津幻師”のインタビューを観た。
その中で彼は『10代の頃にバンドに憧れて友達と始めるが、すぐに自分の描いているイメージを仲間と分かち合えないことに、自分はバンドには向いていないと思い至り一人で音楽制作を始める。』というようなことを言っていた。
それに俺も同感した。
感性を分かち合える人にたった一人でも、一生の中で出会えるなんて奇跡に近いことだと思うし、それは運命めいたもののような気がする。
しかし、バンドの場合、同じような感性の人間が集まったからといって良いバンドになるとは限らない。
ある意味、同じすぎて気色悪いかもしれない。
バンドとは個性豊かな異質なキャラクターが集まり、刺激し合いながら化学反応を起こし想定外の力を発揮する暴走マシーン。
目的はただ一つ、最高のドライブ。

東京滞在あと僅かとなった頃、信頼関係のある友人から、あるドラマーを紹介される。
ライブ後、人が去った会場で20分ほど即興でセッションした。
頭の中を覆っていた霧が晴れるように「これだ!」と心が叫ぶ。
ご機嫌なドライブの同乗者をやっと見つけられた気分。
そう、そのドラマーこそ若き女性ドラマーDesire Nealyである。
彼女を迎入れ、ここからがThe DOJINの世界への始まりである。

最後に一言、ドラマーとは最初の1打の響きで、どんなドラマーかがわかるもの。

照井利幸

 

 

*『世の中では嘘ほど大きな声で語られ、真実ほど小さな声でしか語られない。』
ある友人から昔教えられたある哲学者の言葉。

 

Year of The Band ?

2024年1月21日

昨年の12月と正月を東京で過ごした。
新作のマスタリングを早々に終え、他に予定もないので久しぶりの東京を満喫しようと方々歩いた。
ほんの数ヶ月ぶりでもあちらこちらの景色が変わっているのに気付く。
近所を散歩していると新しい家やビルが建ってたり空き地になってたりするが、その前にそこがどんな場所だったのかも思い出せない。
それに比べ田舎の景色はほとんど変わらない。
田舎暮らしを始めて今年で2年が経とうとしている。
その暮らしを気に入ってはいるが、一度やる事がなくなるとたまらなく退屈に感じる。
きっとそこでは得られない何かを求めてしまうからだろう。
ここで生まれ育っていく子どもたちも同じ。
刺激が足りなければ都会へ出ていくしかない。
今回、東京へ発つ前の数日はそんな退屈の最高潮に達していた。
俺には東京にも帰れる家があるということに改めて幸せを感じた。
東京へ戻るといつも自然に都会モードに切り替わり、違和感もなく馴染んでいく。
東京の人や街、空気、音、景色は、どこかドライで軽やかで心地良い。
きっと、しばらくの間は。

 

今回、東京でやりたかったことが一つだけあった。
それは都会の音を録ること。
地下鉄や街の雑沓、公園などをひたすら歩きながら普段気にもしないノイズをレコーディングした。
実は、昨年末に完成させた新作では、今暮らしている田舎町で日常に聞こえてくるノイズ音をテーマに物語的な作品にした。
となると、自分にとってもう一つの場所である東京をテーマに作品を作ってみたいと思うのはごく自然な成り行きだろう。
俺の頭の中ではいつでもそんなやりたい事のカケラが飛び交っている。
形にできるのはそれらのたった1割にも満たないけど、それが生きがい。

 

普段、テレビを持たない生活を送っているのだが東京宅では四六時中テレビの前に陣取り、観るとも無しに映し出される映像を眺め、この世界の現実を知る。
それが真実か嘘かはもはやどうでもいいことなのかも知れないが。
傍にはギターを置き、何か思いつく度にボイスレコーダーに録音する日々。
元旦もそんな1日のはずが、突然の緊急速報で緊張が走る。
新年が始まる日、国民の休日、家族団欒の日、そんな日にとてつもない恐怖が牙を剥く。
正月ムードは一気に吹っ飛び、何を思えばいいのかも分からないほどに心が不安定に混乱する。
そして、信じられないことに翌日には羽田での航空機事故。
なんという年の幕開けだ。
もし、この時テレビを観ていなければ、これほどまでの衝撃は受けただろうか?
これが、スマートフォンやPCだったら同じように感じただろうか?
テレビを必要としない世代にはどうだろう?
リアルタイムにあらゆるメディアから恐怖が伝染していく。
その恐怖の外側で観ている俺たちに。
思えば、13年前に起きた東日本大震災の時も同じ心境だった。
こんな時、何をすればいいかを的確に国民に示してくれるリーダーがいないことが、この国の弱さであると思う人もきっと多いだろう。
直接的ではないにしろそれぞれが自分なりの救済をしていくことがこの国の復興につながるとしか言えない。

 

 

今までの自分を振り返って今年、1年をどう生きるかというのが抱負というものなら、今年から改めてバンドを作ることが俺の抱負。
60歳にして、本気でもう一度バンドをやりたいという思いが高まっている。
最近、巷で流行っているセッションバンドとかじゃなくて唯一無二のバンド。
自分の過去を過去として認めざるをえないほどの現在進行形のバンド。
改めてバンドというものを考えてみると、それは目的を一つとした個性の集合体だ。
その目的は一つ、熱狂を生み出す音を響かせる。
それ以外のことは今は何も考えたくない。
ただ、それを目指して踏み出す1歩目は俺一人から始めよう。
今年行う俺のすべての活動はそのためだけにある。

自分の表現や手段を持ちながらも、やりきれず孤立しているアーティストたちへメンバーを募る。
性別、年齢、経歴、楽器、ジャンル、問わず。
音楽に限らず、映像や照明、パフォーマンスなど演出的な要素も含む。
同時に活動スタッフも募る。
条件は一つ、自分を表現する術を持っていること。

今年はYear of the Dragon。
年男で厄年。
人生の岐路なのかも知れない。
いつの日か、バンドが結成されることを心から願う。

 

照井利幸

 

 

ロックという時代の終わりと別れ

2023年12月25日

2023年、今年もあっという間に終わってしまう。
歳を重ねるごとに時の流れに追い立てられてるようだ。
365日、何か有益なものを残せただろうか?
1日1日を精一杯生きた覚えはない。
もうすぐ60歳にもなろうとしてる俺は未だ自分の殻を抜け出せないでもがいてる。

 

年の始まりは個展。
2月、描き溜めた絵を画集にし発表、それに合わせ個展を開催。
自分が描いた原画を初めて売った。
何とも言えない落ち着きのない心持ち。
東京滞在中に幾つかのライブで演奏する。
実験的に行なったアンビエントと即興演奏に可能性を感じる。
香川でも同様に個展を開催。

 

4月、尾道にて友人の画家白水麻也子と共演。

 

5月、京都にて鉄のアーティスト谷口和正と共演するはずが、公演間近に突然の急逝。
遺族の協力のもと残された作品と共演を果たす。

 

6月、アンビエントチームとレコーディング&ライブ
演るに連れて新鮮味を失っていくようにフェイドアウト。

 

7月、香川にてソロアルバム制作に没頭。

 

8月、香川にて中村達也と共演。
過去をなぞるようなライブ。

 

10月、ソロ6thアルバム「In Side Man」発表。
香川、岡山、名古屋にて年内のライブ終了とする。

 

これが、表立った俺の1年の活動。
こうやって振り返ってみても、消極的で覇気のない自分に腹がたつ。
何を今更、躊躇しているのか?
まだまだ、導火線に火がつけば爆発できる筈なのに。
いつになったらこの命を灰にできるほど狂い咲けるのか。

 

そんな気分の時に限って極めつけの悲しい訃報。
昔、音楽を共にした友が逝った。
いい奴ほど、先に逝きやがる。
長い間、病で倒れた後も会えずに、ただ最後に1通のメールだけ。
「新作できたら聴かせてよ」
いくつもの後悔。
どうして昔あの時、何もかも捨てでもアイツと命ごと向き合い音楽をやらなかったのだろう。
俺が守ろうとしたものは今じゃあ何ひとつ残っていないというのに。

友よ、さよなら。
今度、会った時には迷うことなくお前の歌に合わせてベースを弾くよ。
ありがとう。

 

今年は次から次へと影響力のある多くのアーティストが亡くなった。
まるでロックという時代が終わるかのように。
そして、これからはジャンルという境界のない世界が始まる気がする。
未だ生かされている自分に何ができるかはわからないが、
まだまだ全然やり足りないよ。

照井利幸

 

 

 

 

 

 

音納め

2023年11月19日

まだ11月半ばを過ぎたばかりだが昨日、年内の音楽制作に終止符を打った。
というのは、10月にソロアルバム「Inside Man」をリリースしたばかりなのだが、創作意欲が止まらず次回作となる予定のアルバムを早くも仕上げてしまった。
ただ、それをいつ発表するかはまだ未定だが。
そんな訳で、早めの音納めとなった。

 

作業部屋に散らかり放題の機材やケーブルを丁寧にバラしながら頭の中を白紙に戻していく。
俺には欠かせない作業。
それをしないと次が始められない。
それをずっと繰り返してきたんだなぁと思うと、とても感慨深い。
つい最近、遊びに来た友人にもそのことを言われた。
「その都度ゼロに戻るんですね。」と。
言われてみて思うのだが、では他の人たちはどうやって一つ一つの始まりと終わりの移り変わりを区切っているのだろう?
と考え始めて直ぐに思い直す。
初めから始まりも終わりもなく生きている人が多いのではないかなぁと。

 

結局、性格、性分、性質、ということなのだろうか。
何もない真っさらな状況など厳密にはあり得ないのだろうが、できる限り思考をゼロにして、そこに何が見えるか?何が聞こえるか?を形にすることが理想の創作だと思っている。
客観的に見れば同じようなものに見えるのかもしれないが、毎回それぞれに新しい試みがあり挑戦があり、誰も気づかないほどわずかな変化を繰り返し長い時間をかけて進化してるんじゃないかと思う。
というより、思いたいのかもしれないね。
まぁそうやって人それぞれ様々なやり方で生きることに向き合っているんだろうな。

 

なんだか、何を伝えたかったのかわからなくなってしまったが笑。
今年は多作だったなぁということで、また来年も想像力と意欲が枯れない限り作り続ける所存です。

 

最近、何かをきっかけに思わぬ方へ思考が飛んでいくことが多い。
これは歳のせいか?笑。

照井

 

 

荒野にて

2023年9月6日

煌びやかな東京から四国の古びた小さな港町に単身移り住んで早1年半。
今になってここへ来た理由がわかる。
自分の時間軸で生きるにはとてもいい場所だ。
高台に建つ家の窓からは静かな海と小さな島々、奇妙な形をした山々が見える。
夕方にはその山の背に見事な夕焼けが見える。
真っ赤に太陽が燃え、あっという間に山影に消えてゆきその残光が白い雲を芸術的なグラデーションに染めていく。
この瞬間を誰かに伝えたいと思う。
俺の場合それが音楽を作る理由なのだろう。

気がつけば来年の2月で60歳。
若い頃の余分な灰汁はすっかり抜け落ち、俺という人生の本質が剥き出しになってきた。
顕になる自分に目を背けたくなることもあるが、それを偽るくらいなら曝け出す楽しみを見つけたいと思う。

バーチャルコミュニティっていうのかなぁ?
SNSというものに親しめない自分は時代に乗り遅れてる?
世界に向けて何をつぶやく?
様々な?が浮かぶ人には必要のないものなのだろう。
俺が世界に発信できるものは自分の音楽しかない。
その音楽は希望であると信じ願いを込めて画面をクリックする。

今さら人に認められたいとか、売れたいとか、という欲はないが
あるがままの自分の音楽が誰かの心に一瞬でも響けばそれで報われるよ。

遠い過去も未来もそれは虚像でしかない。
そんなものに囚われ生きる人生はまっぴらごめんだ。
昔がどうだろうと今こそがすべて。

世の中が変わろうとも、ひたすらに俺自身の物語を作り続けたい。
それが唯一の願い。
そして新作「Inside Man」という一つの物語が今ここに完成した。

自由という名の孤独の荒野にて。

照井利幸

 

 

 

命と情熱の破片

2023年4月18日

生きていれば誰でも死を身近に感じる瞬間がある。
俺の場合で言えば
ライブを終えて走る夜の高速道路や
圧倒的な自然の力に直面した場面、
思いも寄らない体調の異変など
人それぞれにそんな瞬間があるだろう。
そんな時いつも「まだやりかけのことがあるから今は死ぬはずがない」と勝手に信じ込んでいる
自分がいる。
そうやって何とかやり過ごして今まで生きてきた。

 

4月6日22:00
見慣れぬメールを開くと思いも寄らない言葉が綴られていた。
訃報。
あるはずのものが突然、何の手がかりも残さず忽然と消えてしまったような感覚”何が起きてるのか?”
把握できないままただ呆然とメールに綴られた言葉を眺めている自分。
どう対処すればいいのか?
知らせて頂いた奥様への返信メールをと言葉を探すが
何を書けばいいのかわからぬままその気持ちをそのまま綴る。

 

平穏な日常に忘れがちな”死”は俺のような生の過信者の前に思いもよらぬタイミングで
その存在を知らしめる。
明日という時間が約束されているかのように思い込んでいる俺たちに。
生と死は一対。
生まれた命に約束されているものは唯一”死”だけなんだということ。
だからこそ生の儚さゆえの美しさも教えてくれている。

 

この歳まで生きていれば沢山の命との別れを経験する。
近しい人、遠い人、様々だが
今回、谷口和正さんの死はお互い”作る”ということに深く関わっている立場ゆえに
まるで自分のことのように思えるほど身近に感じている。
いつか自分にも容赦無くやって来る”死”をいつ何時も感じながら精一杯生きるようにと教えられた気がする。

 

先日の日曜日、谷口さんの作業場がある京都宇治まで未完の遺作を確認するために協力してくれる友人を
伴って伺った。
5月19日、彫刻家 谷口和正アート演出によるライブ「The Time of Light」を彼亡き今、共演者である
自分と家族の方々で創作者の意思を継ぎどこまで実現可能なのかを見極め段取るために。

 

長閑な田舎町、ところどころに茶畑が見え綺麗な小川が流れている農村地域に彼の生家と作業場はある。
奥様に案内され生家に隣接する作業場に入ると雑然と積み上げられた物や道具で溢れかえり、土間や壁には
鉄の匂いと色が黒く染み付き昔ながらの小さな鉄工屋を思わせる。
その空間には作品製作以外の生活感や趣味的な彩りを見せるものは何一つ見当たらない。

ただひたすらに鉄の板に向き合う男の姿しか見えない。
そんな中、方々に散らばるように製作途中の姿のまま遺作のパーツが横たわっていた。
予想以上に未完成な状態の作品を見て途方に暮れる。
彼はこの場所で倒れていたところを家族に発見されたらしい。

 

彼の作品の特徴は鉄の板に文字を型抜きし造形したものをLED電飾で光と影で文字を映し出すアート。
今回心配していたのは重要なテーマである光の表現を出来るか否かということだった。
しかしそれ以前にメインの作品をどう展示するかを考えなければならない。
散らばったパーツを集め”きっとこうであろう”と推測しながら組み立て可能なところまでやってみる。
ネジ穴も開けられていないものは針金やテープで固定してと作業をしている最中、急に不安と腹立たしさが
込み上げてきた。
客席側からは見えないからと言ってテープや針金を使いまるでハリボテのように扱っている自分たちに
無性に腹が立ち恥ずかしさで胸がいっぱいになる。
こんなのでいい筈がない。
製作途中で命尽きたアーティストの想いを遂げることなど誰もできやしないのだ。
急に感情的に今の作業を否定する俺に何も言えない戸惑いの空気が漂う。
未完成ならば未完成のままの美を表現するしかない。
創作者の谷口和正以外は誰も完成図を知らないのだから。
組み立て可能な部分だけ形にし極力手を加えずそのままの状態を展示することにした。

 

光については可能な限り使えそうな電飾部品をカオス状態の机の上や部屋に散らばる部品の中から見つけ出し電気関係に詳しい友人のおかげで光を手にいれることができそうなところまで漕ぎ着けた。

 

今、作業場で見た光景を思い返すと混沌としたあの空間に散らばった作品を形作るはずのパーツや部品たちは
谷口和正の命の破片のように思える。
命と共に弾け散らばった情熱の破片。

 

1ヶ月後の5月19日、未完の遺作「The Time of Light」谷口和正の魂と共に自分からどんな音が響くのかが楽しみだ。
きっと谷口氏もそこに居て光で演出しているはずだろう。

 

共演者 照井利幸