「Garden」という新作が完成した。
完成したというのはちょっと語弊があるかもしれない、”完成とした”というのが正しいのかもしれない。
毎度、後戻りできないところまでくると心残りが沸々と湧き上がり、次に生かす課題となってきた。
今回もまたその繰り返しだ。
つい昨日まで今作の制作についてあれこれと書こうと思っていたのだが、そんなうんちくや言い訳を書いたところでこの作品がよくなる訳でもないし、制作の大変さなんか語ったところで何にもなりゃしない。
ありのままの音楽を送り出そうと思う。
ただ一つ伝えられることは、今作では今まで避けてきた「歌う」ことに挑戦しているということ。
一人で音楽を作り演奏するうえで一番自然でシンプルな表現は歌うことだと思う。
それを身につければ、自分の世界の核となるだろう。
それはずっと思ってきたことだ。
”いつか自分で歌う時が来るのかなぁ〜”とは考えていたが、それが今回だとは思いもしなかった。
制作の様々な経緯の中でそういった覚悟を持たずにはいられないことを悟った。
結果、歌うことで抽象的だった世界は言葉というリアリティを持って一段とわかりやすくなった。
それが自分にとって良いことなのか、そうでないかはまだわからない。
ただそれをやらないよりはやったほうが良いに決まっている。
なんだってやるのは自由なんだから。
ただ、それをする勇気が必要なだけ。
「Garden」というタイトルはそのままの意味で「庭」。
今まで自分を育ててきた庭という思いを込めてそう名付けた。
その新作を世に発表するにあたって、どんな形が良いのだろうか?とずっと考えていた。
今という時代、これからの時代、自分が何をどう感じ、どうしたいのか?を考えると形にこだわる必要はないと思えた。
どんな形だろうと音楽そのものを損なわず伝えられるのなら、それを最優先にその都度ベストを選べばいいと思い至った。
もはや、俺にとって音楽はビジネスではないし、現実を知れば知るほど自分の音楽がそうなり得ないことは承知している。
音楽は俺のライフワークであり、作ることはごく当たり前のこととなっている。
人が受け入れようが入れまいが、作らずにはいられない命なのだ。
絵を描くにも音楽があるからこそ描きたいと思える。
全てが音楽中心に回っている残り少ない人生なのだ。
だからこれっぽっちも自分の意にしないことはやりたくない。
これっぽっちも時間を無駄にしたくない。
どんな時代であろと自分で選択し覚悟を決めて生きることがすべての人に与えられた自由なのだから。
そんな考えのもと今回選んだのは、配信サービスでのリリース。
今や自分もCDやレコードを聴くよりも頻繁にそのサービスを利用し、世界の様々な音楽に触れることを楽しんでいる。
ならば、同じ土壌に自分の音楽も置くべきじゃないかと思った。
まずは、人に触れやすい場所に置いて楽しんでもらいたいと思った。
そしてそれに伴い今まで作り続けてきたCDを今回限りで最後にすることにした。
最後ということでジャケットに趣向を凝らし、できる限り最後にふさわしい商品となるよう作った。
限定300枚と少数ではあるが、それを最後にCD化を終えます。
時代は益々、様々な格差を生み人が生きづらい世の中へと進んでいるような気がする。
今、思うのは個人規模での変化、この流れをそれぞれ人間が考え直すべき時のように感じるのである。
他力本願ではなく、自分が生きるために。
その思いを込めて「Garden」を放つ。
照井利幸